正義っていう言葉の裏には必ず痛みがあるのね。
なにかしらに傷ついてるから「正義」って言いたくなるんだよね。
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大人の保健室へようこそ、カウンセラーのダイヤです。
今日のテーマは「正義感が強すぎる病気!?」
これは、自分が正義を押し付けちゃうっていう場合にも、
相手が押し付けてきて迷惑っていう場合にも、
両方に使える方法を紹介するね。
大きく分けて二つあるの。
1.自分の正義と相手の正義が違うっていうことを認識する
2.「べき」「はず」をゆるめる
まず一つ目ね。自分の正義と相手の正義が違うってことを認識する。
こないだこういうことがあったの。
わたしが自転車で歩道をゆっくり走ってたの。
向こうから歩いてきたおじさんに、突然怒鳴られたのね。
「自転車は車道を走るべきだ」って。
そうなんだけど、わたしとしては車道は車が多くて怖かったんだよね。
だから、まぁゆっくりだったらいいかなって思って歩道を走ってたの。
だからあたしは、おじさんに怒鳴られた時にちょっとカチンときたんだよね。
そのカチンときたのはなんでかって言うと、
「自分の正義と相手の正義が違う」っていう認識がないからだよね。
お互いに違うっていうことを認識しないで話をしようとしてるから、ぶつかるよね。
別の日も、スーパーでお惣菜を買ったらレジのおばさんがそのお惣菜を小さなビニール袋に入れてくれたんだよね。
でもあたしは、袋を無駄にしたくなかったから
「袋いらないです」って言ったのね。
でもそのおばさんは「一応入れときますね〜」って言って、全部のお惣菜をビニール袋に入れてくれちゃったんだよね。
それもあたしはちょっとカチンと来たのよ。
なんでそこでカチンと来たかって言うと、やっぱりわたしの正義とおばさんの正義が違うっていう認識がないからだよね。
「相手も自分と同じ正義を信じてるはずだ」とか
「これが自分の正義だってことを説明しなくても分かるはずだ」とか
そういうふうに考えてると、ぶつかりやすくなっちゃうよね。
「違う」っていう前提でお互いに説明しあうことが大事だよね。
じゃあ二つ目。「べき」「はず」を緩める。
正義って言っちゃったり、言われて傷ついちゃったりするのって、自分の中にどっか「べき」「はず」があるからなのね。
で、まさにその「べき」「はず」に一番うんざりしてるのは自分自身なの。
おじさんが「正義」って言ってるのは、「道路交通法を少しでも違反したら怒られる」っていう恐怖があるからなの。
「自分自身がそういう小さな間違いをする自分を許せない」とか、「上から厳しく罰せられてきた」とかっていう痛みがあるんだよね。
おばさんは「礼儀正しくしないと人に嫌われる」っていう恐怖がある。気遣いで神経をすり減らしてる。そういう痛みがあるんだよね。
わたしにも、おじさんと同じように「小さな違反をするのが怖い」「ちょっとでも違反をする自分は悪い人間だ」っていう怖さがあるの。
だからカチンと来ちゃったんだよね。
それから、「物を大事にしないといけない」「ビニール袋一枚でも地球の資源を無駄にしてはいけない」「物を無駄にする自分は悪い人間だ」
そういう痛みがあるの。
だから、おばさんが全部ビニール袋に入れたことにカチンと来ちゃったの。
他にも、
前向きに成長することを強要されるとか。
感謝することを強要されるとか。
そういうことに自分自身が傷ついてきたから正義を押し付けたくなっちゃう。
または正義を押し付けられた時に傷ついちゃうんだよね。
それは、いつも一方的に「正義」で殴られ続けてきた後遺症なんだよね。
いかにも正しいようなことを言われて、反論とか言い訳とかをする余地も与えられないで、状況をくみ取ってもらうこともしてもらえないで、
「こういう正義を守れないあなたは悪い人間だ」って言われて傷ついてきたんだよね。
だから、この「べき」「はず」を少しゆるめること。
ちょっとぐらい違反をしても大丈夫
ちょっとぐらい礼儀を忘れてもいいよね
ちょっとぐらい物を無駄にしてもしょうがない
成長しなくてもいいし感謝できなくてもいい
そんなことで怒られたり見捨てられたりしない
そういうふうに思えるようになるといいんじゃないのかな。
そんな感じでした。
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それではまた次の記事でお会いしましょう。
セクマイカウンセラーのダイヤでした。ラビュー❤︎
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