生物学的に言うと、親って成人したらもう必要ないものなんだよね。
自然に仲良くできてるならいいけど、そうじゃないなら捨てちゃってもいいものなんだよね。
親孝行よりも、あなたの幸せの方が大事でしょ。
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大人の保健室へようこそ、セクマイカウンセラーのダイヤです。
このブログでは、セクシャリティや発達障害などについての質問にお答えしています。
今日のテーマは「親は捨てていい」。
セクシャルマイノリティだったり発達障害だったりすると、親と折り合いが悪い人も多いよね。
今日は親との関係について話してみるね。
まず、生物学的に言うと、下の世代が上の世代の面倒を見ることってほとんどないんだよね。
必要がないから、無意味なんだよね。
じゃあ今度スピリチュアル的に見たらどうなるかって言うと。
実は、血縁関係の親兄弟っていうのは、すごく縁が薄いんだよね。
たまたまくじ引きで当たっただけなの。
だから、小学校の同級生とか、通勤電車で毎日会う人とか。
そのぐらいの縁しかないものなの。
逆に、自分で選んだ友達とか恋人とか。
そういう人の方が、たましいのご縁が深いんだよね。
特に縁が深い人って言うのは、
「なんでか分からないけどいつまでも縁が途切れないな~」とか。
そういう人って言うのは、なにかしら深いたましいのつながりがあったりするんだよね。
なんにしろ、血縁関係の親兄弟って、ほとんどたましいのつながりはないものなの。
だから、生物学的に言ってもスピリチュアルに言っても、成人したら親は捨てていいものなんだよね。
返さなくちゃいけない恩なんて、そんなにないよね。
立派に成人しただけで充分返してるんだから、もうそれ以上無理しなくていいの。
ムリに要求してくるなら、それは相手の問題だからね。
「成人した子供が、親に対して前向きな興味はない」っていうのが健全な状態でしょ。
兄弟で、それぞれ世界観も全く違うはずだしね。
濃密なやり取りっていうのは特にしなくなるのが自然なんだよね。
親の方でも、成人した子供に対して適切な距離っていうのはこんな感じ。
「年一ぐらいで連絡するね」
「元気でやってるならそれでいいよ」
「なにか助けが必要だったら声かけてね」
このぐらいの距離感が本来は適切だよね。
相手の人生を尊重しているもんね。
「面倒見てよ」
「親孝行しなさい」
「たまには顔見せなさい」
親密であることを要求してくるのは、親の側のエゴなんだよね。
前にね、「家族って何?」っていう記事をアップしたけど。
家族が強制収容所であってはならないんだよね。
それは家族の本質っていうものから離れちゃうでしょ。
それだと、家族としての機能を果たしてないってことになる。
だから、自然に仲良くできてるならそれでいいけど。
もし、血縁関係の家族が重いとか、息苦しいとか。
そう感じてるなら見直してみてもいいと思う。
いきなり絶縁までしなくてもいいけど、親のいない自分の人生を考えてみてもいいんじゃないのかな。
血縁関係の家族って、人生の必用最低限じゃないんだよね。
いなくても、充分豊かに幸せに生きていくことはできるから。
親孝行よりも、自分の幸せの方が大事だよね。
親か自分か、どっちかを選ばなくちゃいけない場面が来たら、必ず自分を選んでほしいの。
それはとてもツラい選択だけど、でも、そうまでしてでも自分を愛さなくちゃいけない。
そういうレッスンなんだよね。
とっても厳しいレッスンだけど、本当に大事なのは親孝行よりも、あなた自身の幸せなんだよね。
ハイ、そんな感じでした。
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