同性愛をスピリチュアルに説明すると、それだけ自分を愛したいってことなのね。
自分のことをもっと深く愛したい、もっと強く愛したいって、そういうふうにたましいが感じた時に、同性を好きになるの。
♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦
こんにちは、自由すぎるセクマイカウンセラーのダイヤです。
今日のテーマは「スピリチュアルに見る同性愛」。
同性愛をスピリチュアルに説明しようと思うんだけど。
その前に大前提として言っておくと、そもそも、異性愛も同性愛も自然現象でしょ。
今目の前で起こってる自然現象で、雨が降ってるとか風が吹いてるっていうのと一緒だよね。
だからそれを、人間がどう説明してもどう解釈しても、実際の現象の1/10しか言い表せないんだよね。
その上で、同性愛ってスピリチュアル的にはどういう意味があるのか説明するね。
まず、そもそも恋って自分を好きになるためにするものなの。
たましいが
「自分のこと好きになりたいな」
「自分のこと大事にしたいな」
そういうふうに感じた時に、人は恋をするものなのね。
相手との関係を通じて自分を愛そうとする、自分を知ろうとする。
そういう無意識の行動なのね。
だから、自分のセクシャリティとかジェンダーを愛したくて、恋をするのね。
で、その時に、さらに同性っていう、社会的にハードルの高い相手を好きになるのは、より深く、より強く自分を愛したいってことなの。
同性愛の人って、愛の欲求がすごく深くて強いのね。
だから社会的にハードルの高い相手を選ぶことで、より深く、より強く自分を愛そうとしてる。
たましいが無意識にそういう課題を選んでるの。
生まれながらにしてそういうたましいである場合もあるし、現世でいろんな経験をして、その中で愛の欲求が強くなって、それでハードルの高い相手を選ぶようになるってこともあるよね。
全ての同性愛者がそうっていうわけじゃないんだけど、たましいの愛情がすごく深くて強くて、異性を愛するだけでは物足りないっていうところがあるの。
それだけでは相手や自分を深くしっかりと愛しきれない。
もっともっと、相手も自分も深く愛したい。
そういう愛の欲求が強いんだよね。
だから、
「相手の気持ちがどうであっても、社会的な状況がどうであっても、それでも自分を愛しなさい。それでも人間を愛しなさい」
そういうレッスン、そういう課題を与えられてるのね。
これはね、ポリアモリーにも言えることで。
複数の人を好きになる、そういう自分を愛せるかどうか試されてるんだよね。
他にも、年の離れた人とか、外国人を好きになったり。
そういう障害の多い恋をするっていうのは、そのまんま、自分の年齢とか自分の国籍をより深く愛さなくちゃいけないわけじゃない。
普通の恋だけじゃ物足りないんだよね。
異性を愛するだけ、一人の人を好きになるだけではちょっとクリアーしきれない課題があって、たましいが無意識にそういうふうに感じてるから、同性愛行動をしたり、複数の人を好きになったりするのね。
だから、同性愛とかポリアモリーっていうのは、一つには自分のたましいをより深く愛するためのレッスンなんだよね。
それから、もう一つの意味ね。
もう一つには、そういう姿を周りの人に見せてるっていう、そういう意味もあるの。
深く強く自分を愛するっていうお手本を、周りの人に見せるメッセンジャーとしての役割を与えられてるんだよね。
けっこう同性愛の人の中にもいるんだけど、自分が同性愛者であることに、あんまり抵抗がない人っているじゃない。
わりとあっけらかんとしてる人。
「ぼく同性愛者でーす」
「あ、わたしね、ポリアモリーなの~」
「うち年の差婚なんですよー」
「うちね、国際結婚なんだよね」
そういう感じで、わりとそういう障害をひょいっと、軽く乗り越えちゃう人っているじゃない。
こういう人って、そういうメッセンジャーであるケースが多くて。
周りにすごくいい影響を与えてるんだよね。
本人は気が付かないうちに、自然にしてるだけなんだけど、周りにとっては「あーこうやって自分のことを愛するのか…」っていう、すごくいいお手本になってるんだよね。
だからこういう人を通じて地球さんは
「性別とか人数とか、そういうことに関係なくお互いに深く愛し合いなさいよ」
っていうメッセージを人間に伝えようとしてるのね。
それが、同性愛やポリアモリーのスピリチュアル的な意味なの。
はい、そんな感じでした。
♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦
それではまた次の記事でお会いしましょう。
自由すぎるセクマイカウンセラーのダイヤでした。ラビュー♥
気に入ったらサポートしてね♪